新型コロナ時代に生き抜く知恵

新型コロナ時代に生き抜く知恵 ~過去の歴史の教訓から学ぶ~

欧州に10年ほど住んで各地を訪れる機会がありましたが、歴史上でたびたび起きた黒死病の痕跡をまざまざと感じる場所が沢山あります。

ウィーン旧市街グラーベン通りにひときわ目を引く金色のペスト終焉の記念塔、各国の様々な礼拝堂に飾ってある骸骨(死)をテーマにした異様な「死の舞踏」の絵画、9割の市民が亡くなり時の歩みを止めてしまったようなシエナの中世的佇まいなど、いずれの展示物も風景も強い印象を与えて、何やら不思議な感覚を抱かせます。

こうした奇異なものを目の当たりにしますと、欧州人がこれまで幾度となく感染症による深刻で悲惨な影響を経験しながらも生き延びて歴史の厚みをつくってきたことに、ひとは自然と思いを馳せるからでしょう。

新型コロナとの戦いも約2年が経ち、医療関係者のご苦労には頭が下がる思いをしながら、次の第六波が起きて、またぞろ様々な社会制約を受けるのではと危惧している、というのが世間の実情でしょう。今の大きな関心事は、ワクチン接種で集団免疫を獲得すれば新型コロナは本当に終息するのか、with/afterコロナ時代にどう対応していくべきか、あたりではないでしょうか。

こうした根本的な問いへの答えを探すため、過去の大規模な感染症事例を例にあげながら、何かヒントになることがないか、少し考えを巡らせることで、より良く生きるための知恵を探っていきたいと思います。

1.大規模感染症が起こる理由

いつ頃どうやって終息するのかと考える前に、大規模な感染症はどうして起こり拡散していくのか、をみていきたいと思います。感染症が、ローカルな地域に留まらず全体に拡散していく理由には諸説ありますが、現在一般的に認知されている意見をまとめますと、①自然環境の変化(温暖化と寒冷化)、②環境破壊(森林開発や人為的な操作)、③都市化(人口の増加と集中)、④グローバル化(世界的な人流物流の加速)、⑤栄養・衛生状態(体調管理、公衆衛生、医療知識)、の5つの要因が感染症の蔓延化やパンデミックを引き起こす理由とみられています。具体的に、それぞれ実例をみていきます。

  • 自然環境の変化

インフルエンザの流行は、年によって流行る年とそうではない年があります。何故こうしたことが起きるのでしょう。これには、地球の温度が温暖化と寒冷化を不定期的に繰り返す、世界的な気候変動が原因で、感染症の拡大に影響を与えているからという説があります。

例えば黒死病ですが、大きな気候変動がペスト感染拡大の遠因ではないかと言われています。元々ペスト菌は、中央アジアの草原地帯に広く生息する小型げっ歯類(モーマットやネズミなど)に寄生するノミに普遍的に存在しており、今も完全な根絶はされていません。

寒くなれば、草原面積の縮小や作物の冷害不作などで北方での生活は大変厳しいものとなり、巨視的に見れば野生動物も人も暖かいところに移動することになります。そして、一定の条件下でノミの体内で増殖したペスト菌は、ネズミとともに南下して人口の多い地域に移動することで、人に菌を蔓延させるというものです。これがペストの感染経路となります。

寒さだけではありません。マラリアやデング熱など熱帯病は、地球の温暖化でこれまで存在が確認されなかった地域にも広がっています。例えば、デング熱は蚊が媒介するウィルス性の熱性・発疹性疾患であり、これまで北緯30度から南緯30度にかけての熱帯・亜熱帯地域100か国以上で報告されています。しかしながら、温暖化の影響でデング熱を運ぶ蚊の生息地域の北限が広がるにつれ、将来的には国内でも流行する危険性も指摘されています。

自然の四季変化でも、感染症は季節的に到来します。冬に流行るインフルエンザウィルスは、春から秋にかけては北の涼しい地域の水源近くで生息し、渡り鳥が繁殖地と越冬地の長い距離を移動することで、世界中に糞に混じってばらまかれます。宿主である渡り鳥は長い年月の中で共生する術を獲得していますが、豚や鶏などの家畜は免疫力がなく、こうした家畜を介して人の口に運ばれる経路をたどります。

  • 環境破壊

自然災害と言いますが、その多くは人為的な環境破壊が原因と考えられています。森林の伐採というわかりやすい自然破壊から、化石燃料によるCO2増加での温暖化など         非可逆的な環境破壊を引き起こしています。こうした人間の活動により、本来ならば、森の奥深くに潜んでいた野生動物が市街地まで進出というニュースは世界の都市で耳にします。人類は文明化とともに感染症というパンドラの箱を、自ら開けていることになります。

環境破壊というわけではありませんが、人為的な操作である家畜の集団飼育も、また感染症拡大を助長する恐れがあります。集団飼育されているために、鳥インフルエンザに感染可能性のある鶏が、何十万ときには何百万羽の単位で一斉に殺処分されるニュースは世界各地で頻発しています。元農林水産大臣が賄賂を受け取ったことが露見して、話題となった家畜の国際飼育基準づくり(アニマルウェルフェア)は、報道当時は飼育ストレスの緩和による健康的な家畜育成の話と理解していましたが、実は感染症対策にも直接関係する大変重要な話を含んでいたと思うと、自分の感染症リスクへの不明さを改めて痛感します。

③人口増加と都市化

過去100年で世界の都市人口は10倍以上に膨れ上がり、都市部を中心とした人口増加は、過密度が増して、ウィルスが感染力を増すゆりかご状態をつくっています。

世界の人口は、西暦1年に3億人、1500年で5億人、1800年で10億人、現在では75億人に達し、2050年には90億人と、爆発的に増加していく見通しです。この急激な人口拡大に試練を与え抑制するような形で、感染症は歴史上間欠的に起きています。

都市化は時代とともに加速し、1950年には30%に過ぎなかった都市人口は、2018年時点で55%に達しています。(国際連合「世界都市人口予測・2018年改訂版から)

都市化が進めば、会食やイベントや移動など人が集中する場所が増加することになります。また、生活インフラとして、大気汚染や水質汚染などの問題が起きやすく、感染病が流行しやすい環境をつくっていくことになります。都市化は今後も加速を続け、2050年には68%に達すると予測されている中で、感染症拡大の危険性を増加させていることを認識しておく必要があります。

人口の集積化による感染症の拡大は、都市化だけの話ではありません。全世界で5000万人以上が亡くなったという悪性インフルエンザのスペイン風邪は、第一次世界大戦下での人の密集で起きています。戦争中であるが故に相手に兵力の弱体化を悟られないよう、交戦国同士が情報を徹底的に隠匿したことで、より事態の悪化を招き、結果的に戦争終結を早めたとも言います。ちなみに、感染が始まった米国やドイツなどがその事実を隠し、遅れて感染した中立国のスペインが事実を隠さずありのままに公表したため、「スペイン風邪」と命名されて後世に不名誉な形で名を残すようになったのは、何とも皮肉な話です。

④グローバル化   

考えればすごく当たり前の話ですが、ローカルな感染症がパンデミックになる下地として、活発な人的交流を可能とするグローバル世界が生まれていることが前提となります。

世界を震撼させた大きな感染症として、6世紀にビザンチン帝国全域に蔓延し2500万人が死亡したという「ユスティニアヌスのペスト」、14世紀の欧州・北アフリカ・中央アジア・中国と広範囲にわたり、欧州の人口の3分の1の人命を奪った「黒死病(ペスト)」、20世紀に入り、米国と欧州を中心に5千万人(一説では1億人)以上の死者を出した「スペイン風邪」、などグローバルに広がった感染症は、歴史的に何度も膨大な数の死者をもたらしています。

ここでは、特に14世紀の黒死病のグローバルな広がりかたについて話を進めます。

ペスト菌は、元々中国の雲南省あたりのローカルな伝染病であり、流行条件に合致した際に地域的流行(エピデミック)を引き起こしていたとされています。

しかしながら、モンゴルが1253年に雲南を陥落させて帝国の一部にしたことで、ペスト菌はモンゴル帝国全土に広がったと言われています。そして、モンゴルが世界史上最大規模の帝国をつくりユーラシア大陸の端から端まであまねく交通圏を形成したことが、ペストの世界的流行(パンデミック)を引き起こしたわけです。

まずユーラシア大陸東端で、1334年に中国杭州でペストらしき謎の感染症が流行り500万人が死亡したという記録があります。ユーラシア大陸中部や南西部でも、1340年代には

イランやロシアやエジプトで甚大な数の死者を出しています。そして西端のクリミア半島でのジェノバ軍との戦闘で、ジェノバ市民がペスト菌を持ち帰り、そこから地中海貿易の湾岸都市を中心に西ヨーロッパ全体に広がりました。1347年から1351年にかけて黒死病は欧州全体に波及し瞬く間に拡大し、2500万人もの人命を奪ったといわれています。

当時を知る興味深い話によれば、クリミア半島のジェノバ植民都市カッファでジェノバ軍とモンゴル軍が対峙していた際、モンゴル軍が黒死病で死んだ兵士を城壁内に投げ入れたため、ジェノバ軍が慌てて本国に帰還したことで、地中海貿易の中心都市であったジェノバから、各国の湾岸主要都市に一挙に感染は拡大してしまったという通説があります。   

そうした光景も実際にあったかもしれませんが、交戦中にネズミが往来したことが真因だろうと言われています。

⑤栄養・衛生状態

感染病への耐性には、栄養面も影響しています。十分なカロリー摂取と健康管理ができている人のほうが、そうでない人に比べて当然、免疫力が勝っています。体力が落ち免疫力が落ちるタイミングに起きるヘルペスウィルスなどがその具体的な事例となります。      

公共衛生の整備も重要な視点となります。黒死病が猛威を振るう14世紀のベネツィアでは、船内に感染者がいないことを確認するために、入港前の40日間は近くの小島に停泊させる法律をつくりました。この40を意味する「quarantena」が後に検疫を意味する「quarantine」の語源になった話は有名です。大規模な感染症対策の一つとして検疫制度という公衆衛生の重要性を学んだことになります。

水や食物を介して感染する細菌性下痢症は、上下水道など生活インフラの整備された先進国では見られませんが、途上国の劣悪な環境では、コレラ菌やサルモネラ菌の感染症が報告されています。また医療施設の充実は言を待ちません。上下水道の整備といったハード面のみならず、感染症に対する国民の一般的知識や医療体制などソフト面の充実も重要です。

以上感染症の起こる理由を見てきましたが、大規模な感染症はいつ起きても不思議ではないこと、また一旦起きると極めて大流行しやすい状況に、現代に生きる我々が、極めて脆弱な形で晒されているかをご理解されたと思います。

終息の可能性については、これまでの感染症の歴史から学べることは、人の行動抑制と集団免疫、感染ウィルスの弱体化、さらに科学的知見の向上が、終息に効果を上げてきたということです。ウィルスは生き残りをかけて変異していきます。ときには宿主を全滅させることもありますが、戦略としては弱体化(というより適応化)することで、宿主との共生の道を選ぶのでしょう。人類のほうも、行動抑制をしながら変異に見合ったスピードで集団免疫をつくることに努力していきます。この相互作用の中で終息時期が決まってくるというのが、大方の見方のようです。それでは、こうした大規模感染症の歴史上で起きた社会的影響から、現代社会にも通じて、我々が学ぶべきものがないか考えてみましょう。

2.大規模感染症の社会的インパクト

大規模な感染症が起きると、人はどういう行動に出るのでしょうか。社会はどう変化していくのでしょうか。過去の事例をみながら現在起きていることを検討してみたいと思います。

  • パニックによる差別やデマが拡散しやすい

大規模な感染症は、大量の被害者を生み出すために、デマや差別を生みやすい状況をつくります。大量に知人や仲間が死んでパニック状態になると、人はどこかの誰かに責任を求めたい衝動にかられて集団ヒステリーともいえるような行動を起こしやすいのです。

中世の黒死病で莫大な死者が出始めた時の社会の反応として特徴的な一つに、ユダヤ人の仕業による陰謀説が起きました。元々ユダヤ人に対して偏見がある中で、「ユダヤ人が毒を井戸に入れた」というデマ情報が飛び交ったため、ユダヤ人への迫害や残虐な殺人行為が、欧州各地で起きています。これを、中世という迷信や無知で偏見に富んだ人達が暮らす暗黒な時代だったから、と考えるのは早計です。実際、現代でも今回の新型コロナウィルス騒ぎの中で、全米各地や欧州でアジア系市民が襲われるヘイトクライム事件が頻発して起きています。

差別格差の問題をもっと身近な例で考えてみますと、自分の社会的ポジションを利用して何かと言い訳をつけながら、我先にワクチン接種を通常よりも早く実施した人たちがあちこちで現れました。まさしく我欲の嫌らしさを見た思いになった方も多いと思います。ここまで露骨ではありませんが、我事として少し立ち止まって考えることがあります。

ワクチン接種は先進国では70%近くの水準まで到達し、さらに3度目のブースト接種が行われようとしています。しかしながら世界のワクチン平均接種率は38%程度(10月末現在)に留まり、多くの途上国の人たちが一度もワクチン接種を受けていません。日本人として先進国に生まれた恩恵を感じると同時に、途上国の人に何かしら申し訳なさを思いながらも、彼らの状況にはあまり意識を向けずに暮らします。一方で理知的に考えれば、新型コロナウィルスが、自らの生き残りのためにどんどん変異するため、結局は回りまわって自分が危ういリスクに晒されることになります。頭ではわかっていても、人はリスクが身近に迫ると、どうしても視野が狭くなり、目前の自分の利益を優先して行動するのでしょう。

日本政府が途上国向けにワクチン支援をしていますが、ヒューマニズム的な情緒的視点からも合理的な理性的視点からも理にかなった行動です。我々個人のレベルでも、自分が弱く不運な状況下にあるときにこそ、普段以上に冷静に理知的な態度で、全体利益を俯瞰した上で優しい配慮をもって行動すべきだと痛感します。

  • 経済活動を弱め、既存の社会的枠組みの見直しがおきやすい

ペストがそれ自体で国を滅ぼすわけではありませんが、大量の死者を出して十分な対策を講じることが難しく国が荒廃してしまうため、歴史的に見れば、時の権力体制を衰退させる加速要因になっています。中世の黒死病を例にとると、キリスト教会が各地で祈祷儀式をしても何ら効果がなく教会関係者にも多数の死者がでたため、すでに揺らぎ始めていた教会の権威はさらに地に落ちてしまいます。冒頭に触れました骸骨が踊る「死の舞踏」絵画にも、身分や貧富に関係なく死は誰にも訪れる「メメントモリ」というメッセージがテーマとして描かれています。国レベルで見ても同様に、勢いに陰りが出ていたモンゴル帝国の各藩国は、連続して起きた大天災や黒死病による飢饉や疫病のため、ますます減衰しゆっくりと解体していき歴史から消えていきます。欧州でも、その後に王政が強化されるかどうかは各国の事情によって異なりますが、共通して言えることは、大量の死者が発生したことで、労働力不足がおこり生産性が低下しました。そして食物生産量が落ちて飢饉が起き、西ヨーロッパの農村では荘園制の持続が困難となります。その結果、農奴はその身分を開放され、都市部では労働者の賃金高騰を招き、その後の社会構造が大きく変革していきます。過去の歴史が示すことは、黒死病といった大規模感染症はそれ自体が社会変革を起こすというより、既にその兆候が見えている社会構造の変化を一層速める触媒的な役割を果たすというものです。

スペイン風邪の時には世界経済の低迷が起きています。第一次世界大戦中であったため、人流物流が国際間で活発に行われ、劣悪な衛生環境下で、膨大な感染者と死者を記録しました。しかも、こうした被害者はまさしく経済活動の担い手であったため、労働供給や消費活動の大きな低下を招き、各国のGNPを大きく引き下げています。また最近の研究では、成年男性の働き手の喪失をカバーするために、女性や子供が仕事に従事せざるを得なくなり貧困世帯率を急上昇させたという調査が出ています。戦争そのものもさることながら、スペイン風邪が経済活動の停滞に大きな影響を与えたわけです。第二次世界大戦の遠因は第一次世界大戦の敗戦処理策にあると言われますが、スペイン風邪が経済回復を遅らせたことも大きく影響をしていることがわかります。

現在の新型コロナも、おそらく、既に兆候が見られる新しい変化を増長させていく、そして社会生活の弱い部分に甚大な影響を与えていくものと思います。例えば、経済活動への影響は深刻です。様々な経済活動の制約の影響で失業率が、サービスセクターを中心に拡大し、企業側もつなぎの無利子・無担保融資の下支えで倒産件数こそまだ目立つものではありませんが、負債額は30兆円を超し、今後の返済が大きな社会課題となるのは必然です。また非正規労働者の失業も大きな問題であり、財政支出に限りがある中で政府は難しい舵取りに迫られています。産業構造の変換に加速がつくとともに、それによりさらに労働の流動性は高まっていくのでしょう。

もう一つ、等閑視できない課題として、教育への影響です。過去の事例で見ますとスペイン風邪流行の時に幼少期年少期だった人たちは、他の年代の人たちに比べて教育年数や学歴面で平均的に低いというイタリアの研究結果があります。現在、教育の現場では、感染拡大防止策としてITを活用したリモート教育の導入が積極的に行われていますが、影響はどうなるのでしょうか。考えられる肯定的な側面としては、遠隔地に住む子供たちに都会に住む子供たちと同じレベルの教育機会の恩恵があることや、子供たちのITリテラシー能力は、これまでの世代よりも一段と高いものになり、次の経済成長の土台を強くしていくことは間違いありません。一方で懸念されることは、面着による集団行動の機会が減る中で、相手の気持ちを読み取る対人折衝能力など情緒面での発育が遅れるという懸念の声が、教育に携わる人たちから出ていることです。テレワークで頑張っている皆さんと同様、新型コロナの功罪に直面し奮闘努力しているお子さんたちにも激励のエールを送りたいと思います。

  • グローバル化と大規模感染症

WHOによれば、最初の新型コロナウィルスの情報は、2019年12月に中国の国家衛生健康委員会からWHO中国事務所に報告がなされています。すぐに武漢市がロックダウンされ、瞬く間に欧州に拡大していきましたが、その展開の拠点となったのはイタリアでした。この感染経路パターンは、中世の黒死病の広がり方と大変酷似しています。グローバル化の歴史の中で、中国とイタリアは、世界志向の強い国民性が影響してか、時代を超えてグローバルな関係性を示しており大変興味深い事実です。

グローバル化の最近の動向を確認してみます。グローバル化の進展は、日本をはじめとして西欧やアメリカなど民主主義の先進国では、安価な労働力を持つ海外の発展途上国に生産拠点の移転や国内の労働流動性を高めたことで国内の中産所得層が瓦解してしまい、貧富の二極化が進んで政治の不安定化を招きました。一方で中国やトルコなど元々中央集権的な政治体質をもつ新興国は、グローバル化の恩恵で経済的成功を収めることで、自国の運営に自信を深め、権威主義的な色彩を強めていきました。

こうしたグローバル化の歪みが露呈し始めたところに、新型コロナは直撃したわけです。新型コロナへの対応をみてみると、中国の死者数は5千人程度とその人口規模から考えれば圧倒的に低くワクチン接種率も世界最高水準で一人勝ちのような状況です。経済面でも、2021年のGDP成長率は+8.0%の見通し(IMF最新予測値)であり、一早く復興をしているように見えます。一方、民主主義の代表を任ずる米国の新型コロナの死者は60万人余りでワクチン接種率も依然60%未満です。中国のような中央集権体制だと、個人の権利よりも公衆衛生優先の強硬策を採ることができるのに対し、民主主義体制では、感染対策を講じるにも個人の自由や権利に十分配慮するために、合意形成に時間と手間がかかるからという理屈です。従って大規模な感染症といった非常事態では中央集権的な国家運営のほうがが上手く機能し、民主主義的な運営はプロセスに無駄が多い、という考えが新興国や途上国に横行して、グローバル化で進行していた中央集権の権威主義的運営を、より一層強めるような傾向が生まれているように思います。また、民主主義の先進国においても、行き過ぎたグローバル化への反動として、「自国第一主義」など中央集権的な政策を取りつつあることです。

民主主義の恩恵にあずかる我々日本人は、自由な民主主義的価値観が広く世界でも優位に伝播していくのは当然だろうと考えますが、状況は真逆です。2019年にスウェーデンの調査機関から発表された報告書では、権威主義的な国家の数のほうが、民主主義的な国家の数を上回っているというものでした。事実、2019年に国連で議論されたウィグル族に対する弾圧問題では、懸念を示したのは22か国だったのに対して中国支持に回ったのは37か国となりました。2020年6月の国連の人権委員会では、中国の香港国家安全維持法に強い懸念を示すと表明した国数が27だったのに対し、中国への支持を表明した国数は倍の53という結果でした。一帯一路政策の恩恵にあずかる国々への中国の説得工作が奏功したのは間違いありませんが、我々がよく耳にする「国際社会からの批判」という国際社会の場では、今や民主主義的意見は少数派、という事実にもっと注意を払う必要があると思います。

グローバルの脅威にさらされる中で、両方の陣営とも「強い国家をつくり国民に繫栄と安心安全を付与していく」ことを強くナショナリズムに訴え始めています。具体的な進めかたはもちろん異なるものの、双方の理念が近似してきて境目がぼやけつつあります。この曖昧さこそが、民主主義体制の危機といわれる真因だと思われます。

確かに短期的な対応としては、権威主義的対応のほうが適切な施策が行われた場合は効率的なのは事実でしょう。しかしながら、中央の強制力を利かせるために報道の自由や基本的な人権がないがしろになり、もっと重要なことは、もしその施策が間違っていてもその誤謬を認めることが難しく指導者や政策を柔軟に変更する仕組みを持たないこと、つまり自己修正能力に欠けていることです。 パンデミックという危機に直面する今こそ、民主主義体制を維持してより良いものにする試金石と考え、グローバル化の影の部分を改善し、短期的な視点のみならず中長期の視点をしっかり持って、今の非常事態に対し能動的に明るい展望をもって対処していくべきだと思います。