海外で仕事をする際の心得

前回、インドネシアについて寄稿した際に、海外で働く、事業を海外に展開したいと思う方々に向け「海外のどこの国や地域においても独自の文化や国民性があり、それを理解する事が出発点になる」とお伝えしました。

今回は「海外で仕事をする際の心得」についてお話ししたいと思います。

筆者は職歴から海外出張をする機会が多く、滞在した国の数は20を超えます。内訳は、米国、英国、仏国、そして東アジア・東南アジア・中近東・アフリカ(英語圏)の国々です。

そんな経験を経ての「心得」になりますから、世間一般のものより若干かたよっているかもしれませんが、筆者はこれを信じ、先進国を除く地域に赴任する同僚・後輩に伝えてきました。ここでご紹介したいと思います。

1.その国を良く知る 2.日本人で群れて良い 3.緊張感を持続してもつ。 4.受け容れる。でも、こだわる。 5.早いうちから日本側に理解者・協力者をつくっておく。 6.現地にブレーンをつくる  
  1. その国を良く知る。

・インドネシアについて寄稿した際にも述べましたが、その国の地理・歴史(特に独立前後の時期)・文化などを事前に知っておくことです。現在はウィキペディアで大抵のことは分かりますが、新書などもチェックしておくと良いでしょう。ウィグル自治区、香港、ミャンマー/ロヒンギャ、ウクライナ、ロシア等、昨今の紛争地域を扱った新書は本屋やアマゾン/書籍などで目立った所に並んでいますが、紛争地域でない国々/特に話題にのぼらない国々の書籍も探せば必ず有ります。

・知識・情報として持っていたことが、現地で生活していて「あ、なるほど」と腑におちる時がやってきます。その機会にウィキペディアや参考にした書籍を再度のぞいてみましょう。その国・その国民への理解がぐっと深まります。

  • 日本人で群れて良い。

・どの都市、地域にも、安全快適に暮らしていくためにやるべきこと、やってはならないこと、行くべき場所、避けた方が良い場所、注意すべきこと、など多くの項目が有ります。これは現地入りしたら早々に知っておいた方が良いです。まず日本人の群れに加わり、新参者として教えを乞うことです。日本人の群れには、在外公館含め政府関係者、大手企業、中小企業など様々な業種・業態の出身者がいます。安全快適な暮らしのためのノウハウを山ほど持っているはずです。

・日本人の群れの大半は、現在のあなたには全く接点の無い会社の出身者でしょう。それゆえ仕事の面でもあなたとは違った視点での情報・意見をもっており、その中にはあなたに有用なものも必ず含まれています。今は接点がなくとも、将来何らかの関係性が出来るかもしれません。もっと単純に、気が合えば長く続く友人になるかもしれません。

・群れの中では、先方から見れば、あなたはその手掛ける事業分野を最もよく知っている人、あるいはそんな人たちの一人になります。向こうがあなたを有用だと判断してくれれば交わす情報の質は高まり、量は増えるでしょう。日本に居るときには決して会えない人を紹介してくれることもあります。IT系など新興企業は初動でトップ自ら海外拠点を訪問することが多いので、人脈が思った以上に広がることもあります。

・日本人が少ない地域は、在外公館、JETROなどの公的機関で伝手を探しましょう。それなりの数の日本人が滞在する地域では、日本人向け新聞・雑誌や、出身大学、出身都道府県、業種特化の集まり(ロジスティックス業界、金融・保険業界とか、IT・メディア・ネット広告業界とか)もあるでしょう。群れる方法は探せばちゃんと見つかります。

[Small Story]

2012~14年頃、日本の大手外食チェーンやサービス業のジャカルタ進出がブームになり、丸亀製麺、Coco壱番屋、一風堂などが相次いで開業しました。私も日本大手つけ麺チェーンのジャカルタ進出検討をお手伝いする機会があり、それを皮切りに進出支援が広がり始め、レストランチェーン、エステ・脱毛チェーン、と続き、歯科クリニック(!) が登場しました。出張して来られた歯科医の先生いわく、「歯科医というのはどの国でも嫌われており誰もわざわざ行きたいとは思わない。人が集まるショッピング・モールやファッション・ビルで、3階以上の上層階やフロアの奥まった場所は家賃が安くても避けるべきで、割高でも入口から近いエスカレーターを1階上ったすぐ、あるいは1階降りたすぐの場所がベスト。この仮説をジャカルタでも検証したい。」とのこと。という訳で一緒に走り回ったのですが、ものの見事というか、どこに行ってもエスカレーターを一階下りてすぐの場所に既に歯科クリニックがあるんです。目ぼしい場所に占有者がいて家賃も高かったので、先生は最終的に進出を断念されたのですが、面白い経験でした。

  • 緊張感を持続してもつ。

・現地に滞在して数か月が経過すると、日本人の群れにも参加し、現地でしか分からない様々な情報も得て、現地での仕事のやり方や生活にも慣れてきます。安心感・安定感を得た訳で、それはそれで良いことなのですが、注意が必要です。あなたが慣れてきたのは、あなたの居住する地域、就業する地域、余暇でくりだす地域での話です。もう大丈夫だなと思っていると思わぬ落とし穴が待っていたりします。

・政府機関が集まった場所、宗教的意義の高い場所など、それぞれの国に都市内の聖域があります。厳しい警備体制が敷かれている、禁止事項が設けられているなど、注意が必要です。

油断せず、慎重な姿勢で臨むのが良いでしょう。

・地方に出向く機会が訪れます。日本と違い高速鉄道や細かな国営・私鉄の鉄道ネットワークが備わっていない国、高速道路が完備していない国も多く、その移動は飛行機の国内線であったり長時間に及ぶ在来線だったり、車による移動になるケースが多いです。人伝に情報を集めたり、地図やトラベルガイドも利用して、ルートの確認、途中立ち寄り場所の確認などに努めておくことをおすすめします。現地語に精通していればネット検索もまた有効です。携帯電話の充電切れに備えバッテリーの携行も必須です。

[Small Story]

イランイラク戦争真只中の1985年、筆者はイランの首都、テヘランに出張し、業務に励んでおりました。イランというと、中近東にある原油産出国トップ10の一国=高温多湿の砂漠の国、というイメージがあると思いますが、北はキャビアで有名なカスピ海に接し寒冷・乾燥、南はペルシャ湾に面し高温・多湿と、南北で気候の全く違う自然豊かな国です。

テヘランから車で2時間、標高2,000m超のDizinというリフト完備の立派なスキー場があり、休日は友人とそこに出かけスキーを楽しんだのですが、そこは厳格なイスラム国イラン、男女でリフトにのる時間帯を細かく仕切り、またゲレンデにもロープがはってあり、こちらは男ゲレンデ、向こうは女ゲレンデと区別されています。ちょっとした遊び心でロープ近くに寄り女子スキーヤーを眺めていると頭上から発砲の音が・・・カーキ色のユニフォームを着た革命防衛隊のスキーヤーが近づいてきたのです。注意を喚起するのみ、発砲も空砲で、ロープから離れればお咎め無しと、後から聞いたのですが、その時は肝を冷やしました。

[Small Story]

上の事件から数日後、大型商談があり、テヘランから南に300kmの地方工業都市、シーラーズに出張しました。諸説ありますが、赤ワインで有名な葡萄の品種シラーの原産地ともいわれています。国営イラン航空を利用し、メヘラーバード空港から空路1時間半の直行便を予約しました。準備怠りなく余裕をもって空港に到着し目当ての便に搭乗し、2時間後に(少し遅れたな等と感じながら)空港に降り立ちました。シーラーズは内陸の都市で、軽井沢みたいな気候だと聞いていたのに、妙に高温で湿気多く、空港前の道路沿いにヤシの木っぽい木々が並んでいます。何か変だな・・と思いつつもタクシー乗り場に行き、訪問予定の会社名を伝えると、シーラーズでは有名な会社なのでタクシーで簡単に到着できると聞いていたのに、運転手は片言の英語で知らないと繰り返します。とりあえず役所へ向かって英語を普通に話せる人と話したところ・・・

そこはシーラーズの西南200kmの港湾都市ブーシェフルで、イラク空軍の主要標的となった石油積出設備のあったカーグ島から40km程度しか離れていない紛争指定地域、危険地域でした! タクシーの運転手にその時もっていた全財産(米ドル300程度のイランリヤル)を渡し山越え陸路でシーラーズに行って欲しいと懇願し、了解をもらって6時間のドライブでシーラーズの訪問先に到着し、短い時間で商談を終えて、空路テヘランへ戻りました。

後で分かったのですが、私が乗った便にブーシェフルに赴く政府要人が搭乗したため、ブーシェフル経由シーラーズ行きに急遽変更になったということでした。ルート変更は空港でアナウンスされましたが、地方便だったのでペルシャ語のみだったため聞き逃しました。注意不足かもしれませんが、これは間違えます。

因みに、この後、イラク空軍によりイランイラク戦争中の最大の空軍作戦が展開され、ブーシェフルは一週間後に壊滅し、首都テヘランも二週間後に空襲を受けて多くの日本人が脱出を余儀なくされました。タイミングが少しずれていたらと、今でも思い出すたびにぞっとする経験です。

  • 受け容れる。でも、こだわる。

・言うまでもないことですが、海外の国々や地域は、それぞれ違う地理条件、歴史、文化を経て現在があり、そこから生じる価値観は、当然のこと我々の価値観とは違っています。

国境は占領国の事情で後付けで決まった国も多いですから、同じ国の中に違う価値観をもつ国民が混在し多様性に富んだ国もあります。

・「その国を良く知る。」の項で述べた通り、違いを理解してまず受け容れることです。こちらが理解し受け入れれば、相手にも許容を求めやすくなります。 事業性の調査、準備と着手、開始時の初動など、仕事が進まないと何も生まれません。受け容れて進みましょう。

・仕事を進めていくと、自分が描いていたビジネス像と合致しないことも生まれてきます。 そもそも自分はどんなビジネスをしたくてこの地にいるのか、このビジネス像が生まれた背景には、日本という国が、あなたの所属する企業が、あるいはあなた自身がもっている 「強み」があるはずです。諦めずこだわって追及して欲しいと思います。

ビジネス像と実際の仕事の何が合致しないのか、軌道修正や修復は何が可能で何が不可能か、緻密に情報収集・分析・実行を行って、見極めることをおすすめします。軌道修正や修復が困難であれば、企業として、あるいはあなた個人として事業から撤退しその国を離れる、これも一つの決断になります。

[Small Story]

2011年より数年にわたり、情報検索(不動産等仲介業)・EC・インターネット広告・懸賞サイト・人材派遣など日本のインターネットビジネスの有力企業が相次いでインドネシアに進出しました。人口規模、スマホの総台数、島々に分割される広範な国土と将来性を見込める要素は十分にあり、それぞれ自社の強みを発揮できると踏んで進出した訳ですが、加入者が思ったより増えない、広告収入を得るまでに時間がかかる、日本人数人でも運営経費はかさむという事態に早々に直面しました。筆者が深く付き合っていた6社のうち、3社はネット運営にこだわらず、いわばアナログな業務に特化し成功をおさめましたが、中核となった日本人の何人かは自身の存在理由を問い現地を去りました。また1社はインドネシアより撤退し、周辺地域にもとよりあった事務所にその業務を統合しました。進出から2年経過した時点での結論でした。

  • 早いうちから日本側に理解者・協力者をつくっておく。

・赴任前・赴任時、事務所の規模・場所・価格帯、住居の規模・場所・価格帯、社用・私用兼用の車両の保有(国によってはドライバーの雇用含む)の可否など、安全・安定した環境を維持するために決めなければならないことが多くあります。安全・安定度が高いほど係る費用も高くなりますので、どこかで妥協点を見出さなければいけません。

事業を開始した後も、事業拡張のための増資・人的増員・先行投資実施の方針決定、大型案件の採算性や実施計画の決定、事業が立ち行かなくなった際の金銭的てこ入れ・人事異動あるいは撤退などの方針決定、災害や社会不安時の退避の時期・期間の決定など、重要な決断に迫られる場面が訪れます。

赴任時の環境の決定、事業開始後の重要な決定、いずれの場合もあなたが日本の企業からの派遣であれば当然日本側に決裁を仰がねばなりません。あなたが代表者であっても日本にいる投資家・事業パートナーなど誰かしらのStakeholderの了解を取り付ける必要があるでしょう。

・通常の業務に関する選択・決定は現地側が一番わかっていて当り前なので(あなたに経験値・実績があり、日本側もその評価の累積があるので)その選択・決定にまっこうから異議をとなえる人は少ないと思います。

問題となるのは、まず、あなたに経験値・実績もなく日本側の評価も累積されていない時期の決定です。何も判断材料が無い、そんなときはかける費用は低めに設定されるでしょう。次に、事業継続・会社存続のための大きな決定をするときです。大きな判断の際には現地側固有の事情や現場の事業遂行者の思いなど、日本側には簡単には理解されず顧みられないのが当り前と思った方が良いのです。

・上記に備え、事が始まる前に、自分の赴く国、遂行する事業、主だった関係者など理解してくれる人をつくっておきましょう。赴任前に同行させて「プロ○○国、○○国ファン」にしてしまうのが一番の方法です。それでもあなたの意に沿わない決定が成されることもあるでしょうが、理解されていれば妥協できる範囲の決定になる可能性が高くなりますので。

  • 現地にブレーンをつくる。

・元首の選出時(国により再選できず必ず新任になる、複数任期が認められ現職と新人の戦いになる等、パターンは分かれます)の選挙活動、災害などの社会的不安、経済の停滞・悪化にともなうデモ恒常化、あげくは軍部によるクーデターなど、日本人社会では予測が難しいこと、対処の知恵・経験が無い事態にでくわした時、現地の識者・有力者からもたらされる情報・助言が大変役立ちます。先に「日本人で群れよ」と述べましたが、一方で、現地人で頼れる人との交友は絶対につくっておくべきです。

・財閥など有力企業グループの経営陣ないし経営陣と近しい関係者、政治家や軍人ないしそれに近い筋の人など高度な情報や助言をもたらしてくれます。簡単には出会えず見つかりにくいかもしれませんが、現地で仕事を一緒する現地パートナーや関係者を通じて網をはり、紹介を頼むのが良いと思います。先にあげた日本人の群れの中で大物の方と親密な関係になれば、その方に頼むのも一手です。

[Small Story]

1997年インドネシアはアジア通貨危機の影響を大きく受け、実体経済の悪化に加え政情・社会不安をもたらし、1998年初頭より各地で暴動が発生し始めました。社会不安が大きくなった3月の時点で駐在員の大半が出国退避しましたが、筆者は政府系のインフラ整備を業務としていたため居残り組に選ばれました。ある政府高官と業務を通じ信頼を深め、友人となっていたので、同高官と連絡をとり、トリガーとなるかもしれないイベントと予測される事態につき内々に情報を得て、安全なホテルに住まいを移動できる様に準備をしておりましたが、5月に高官の助言に従いホテルに移動し、私の進言で居残り組の他駐在員もそれに続きました。数日後首都ジャカルタで最大級のデモと暴動が発生し、市中いたる所で焼き討ち等火の手があがり、32年間君臨したスハルト大統領は退陣に追い込まれました。退陣後も暴動と略奪による社会不安は1か月継続し、ホテルに立てこもる状態が続きましたが、その間も政府高官との連絡は絶やさず、これ以上の悪化は無いとの情報を信じ、精神的に健全に事態を見守ることが出来ました。

[Small Story]

2012年所属した会社がジャカルタ進出のおり、二度目の駐在となりました。現地での事業パートナーは既に選定・決定されており、その実行役に私が選ばれた、いう流れだったのですが、驚いたことにそのパートナーなる人物が1995~97年に政府系の仕事を一緒にしていた華僑系ビジネスマンのS氏でした。1998年の暴動の際、華僑はそのターゲットとされていたので彼は1998年早々にジャカルタを離れておりましたが、ジャカルタへ戻った後に暴動後の民主化へ向けての混乱時の金融問題の処理や制度の修正・改革に貢献し、2008年リーマンショック時にも適切に対応し、実績ある金融マンとして活躍していました。

駐在期間中も大統領選をはじめとした不安が囁かれる出来事も多くありましたが、S氏とはほぼ毎日のように顔を合わせていましたので、社会不安などのストレスなく平穏安全で楽しい駐在生活となりました。

コロナ禍は国により異なった局面をみせ始めています。加えて、ロシア・ウクライナ問題、NATO加盟をめぐる欧州での動き、ミャンマーの国境周辺での内戦、朝鮮半島情勢、フィリピン大統領選出後の動向、中国・インドの動向などなど、先行きがみえない時代が続いています。

筆者は、以前より海外での業務でもっとも重要なのは「安全・安定な環境をつくる」ことと考えてきました。今ほどこれを強く感じる時代はありません。 本稿が一助となれば幸いです。