交渉力について

ひとが生きていく上で、他人との駆け引きはつきものです。少し大袈裟に言えば、家族や友人との付き合いや近所での買い物など日常のあらゆる局面において、我々は相手と取引をしながら生きています。特に、ビジネスでは、自分の主張をいかに納得してもらいながら相手の合意を取りつけていくか、という交渉力を発揮することが、仕事を進めるうえで、重要な要素になります。今回は、小生のささやかな体験を踏まえながら、この交渉力についてお話ししたいと思います。

(1)トルコ人の交渉力 (2)アメリカ人の交渉力 (3)ドイツでの交渉力の話 (4)最後に

(1)トルコ人の交渉力

最初に、イスタンブールでの体験談からご紹介します。欧州に駐在していた当時、トルコも担当地域の一つとしてよく訪れていました。仕事の合間をぬってバザールで土産物を物色していたら、綺麗な螺鈿細工の小物入れが目につき買おうと思い立ちました。同行していたトルコ人の友人が、代わりに交渉しても良いかと言い出しましたので、どうするのかなと興味半分でお任せすることにしました。そうすると、その友人は、まず時間をかけて、もう少し安くできないか、もう少し何とかならないか、とニコニコしながら一生懸命に値切り交渉を始めるのです。彼が粘りに粘ってくれたものですから、ついに値札から3割ほど安くなり、ほぅ随分と安くなるものだと感心していました。

すると、この友人は唐突に自分も買うという新たな条件を出して再度、ネゴを始めました。まとめ買いなら判りますが1個から単に2個です。それでも友人は悪びれる様子もなく値切り交渉をするのです。店主はもう仕方がないなという呆れ顔をしながら、もう1割引いて4割引にする、そしてこれ以上は無理だと返事をするのでした。友人の強引さに少し驚きながらも、私はもう十分に安い値段になったので本当に得した気分になっていました。

そして、友人はやおら財布を見せてお金を支払うという段になって、支払いをカードではなく現金でするので何とかもう一声勉強してほしい、と平然と言ってのけるのです。店主もここまで時間をかけて話し込んだ以上、我々を逃がすまいと思ったのか、結局、値引きに応じてくれて、我々は美しい小箱を二つ元値の半額で購入することができました。

友人の粘り強い交渉に感謝しながらも、彼のタフネゴシエーターぶりを垣間見た瞬間であり、その日午後の彼との価格交渉に向けて自分も根気強くやらねばと、気持ちが引き締まったことを思い出します。

(2)アメリカ人の交渉力

米国では、こんな経験もありました。当時は大きなモーターショウが世界各国で年に数回行われており、どこで最初に量販車種の新モデルの発表をするかは、各地域の営業担当では重要な話でした。というのは、一旦新モデルの情報がどこかの地域でマスコミに発表されると、他の地域に新モデルの写真やスペック情報が流れて二番煎じとなり、新モデルの市場インパクトが大きく損なわれてしまいます。

その頃、日本と米国と欧州間では、主力商品が似通っていたため、何としても、新モデルの世界最初の発表となる場所を米国のモーターショウにするようにと、米国人トップから商品導入の窓口になっていた私に極めて強い要請がありました。私は、その車種の世界での販売台数は、米国市場が一番多いこと、ライバルの自動車メーカーが同じモーターショウで強力な商品を発表する予定であること、などを理由に、日本側に懸命に説得を試みました。ところが、日本側からは、国内販売店に対して日本で最初に開示することを既にある程度内示していることや、国内景気が落ち込み気味で販売店の士気向上のために国内市場販売担当の関係者は全く譲りそうにない、との返事でした。米国人トップにこうした事情を説明したところ、それならば一緒に日本に出張して、関係する役員メンバーに直談判しようということになりました。日本に飛んで、商品導入の企画部隊や国内販売担当部隊やグローバルの販売促進関係など、営業部隊の複数部署の関係役員先を精力的に回ってみましたが、日本側のガードは固く一向に埒があきません。

そうすると、米国人トップは何を思ったか、突然、将来の商品導入モデルのスペックについて日米間でなかなか合意に達していない全く別の案件を日本側が解決してくれるならば、今回の米国での展示要求を撤回しても良いと言い出しました。これは、現在進めている交渉とは何ら関係のない内容であり、交渉相手も営業部隊ではなくて、技術部隊となります。当然、日本側からすれば、全く筋違いの話を一緒くたにしたとんでもない無茶な話であり、日本側の窓口部署の狼狽ぶりと怒りは手に取るようにわかりました。

結局、日本側で営業部隊が散々苦労しながら嫌がる技術部隊と調整をしてくれたことで、米国での世界初の量産車種新モデルの展示を諦める代わりに、何としても欲しかった将来導入予定の商品のスペックをもぎ取ることができました。交渉している案件とは全く別の次元の話を持ち出して、同じテーブルの上に乗せて交渉するやり方を、目の前でまざまざと見せられる思いでした。

(3)ドイツでの交渉力の話

さらに、ドイツでの自動車の販売網を拡充した時にも、交渉で面白い体験をしました。

自動車販売では、どこに販売拠点を設けるかということは販売力の強化上、重要な仕事です。販売台数が落ちているエリアや後継ぎがいないエリアができると、販売力のある経営者を探しだし投資をしてもらうことで、こうした空白地点を埋めていく必要があります。当時、ドイツのある地域ではこうした販売の空白地域ができてしまい、地域の両側にある販売店のどちらかに新しい営業拠点の投資をしてもらう案件が持ち上がりました。

ところで、私は常日頃から交渉には、基本的に次の4つぐらいの方法論があると思っています。

①両方が納得する大義を見つけて訴求すること(例えば、その地域のブランド力が向上するなど)、

②相手の利害に訴えること(例えば、この投資は良い儲け話であることなど)、

③立場を変えれば相手もそう考えるのではと思わせること(例えば、長期的な視点に立つことなど)、

④牽制すること(例えば、もしこの話を受けないとすると当方側にも別の考え方があることなど)

私は、この手順に従って、オープンポイントに隣接する片方の販売店オーナーに、今後のドイツ全体の販売台数計画や新規投資をしてくれた場合の当方支援の内容など、懸命に説得を試みましたが、景気の見方が異なるとか、支援の内容が弱い、などと言って相手は一向に話に乗ってきません。確かに、相手側の立場に立てば、新規に販売拠点をつくるとなるとざっくり数十億円の費用がかかりその回収を考えれば、二の足を踏む気持ちはよく判ります。さて困ったなと思いながらも、一端、時間をおいて夕食を一緒に取ることになりました。地元クラブのサッカーの話で盛り上がった頃あいをみて(ドイツ人は本当にサッカーの話が大好きです)、実は来週お宅の隣の販売店オーナーにもこの話を持ちかけようと思っている、と切り出しました。

すると、相手は少し考えた様子を示し、この話を隣の販売店オーナーにするのはしばらく待ってほしい、と言うのです。結局、一週間後、少し支援条件を追加することを条件に、このオーナーは新規投資を決めてくれました。私はこの時、①の大義がまず王道として必要であるけれど、やはり④の相手が困りそうな話を持ち出すことが説得には一番効果がある、と身に沁みて感じ入りました。

(4)最後に

ビジネスでの交渉は、大体においてややこしい話が多いように思います。交渉力とは、誤解を恐れず平たく言ってしまえば、気乗りしない話を相手が自ら進んでやってくれるように仕向けていく、そんな能力だと思います。

そのためには、まず何といっても、トルコ人の友人のような粘り強さが重要です。さらに、米国人トップの話のように交渉局面では相手がどう出るか判らない中で、交渉のテーブルに先方が何を乗せてきても驚かない用意周到な準備が必要です。そして、交渉の最後の勝負の局面では、議論の落としどころの武器となるような、説得に役立つ情報や交渉材料を揃えておくこと、こうした心掛けが必要だと思います。

これからの皆さんの交渉の際に、小生のささやかな体験談が少しでも何かのお役に立つことになれば幸いに思います。