日本型雇用制度はどう変わるか?
日本の雇用制度の代名詞として「終身雇用制度」(lifetime employment system)という言葉が使われたことがあります。終身雇用制度とは、ざっくり言えば、企業が新卒者を大量採用し教育訓練しキャリア形成を図る長期雇用システムということができるでしょう。1990年代初頭までの日本の大躍進を目の当たりにして、米国で一般的なemployment-at-will(いつでも解雇できる)とは異質な終身雇用制度がその一因ではないか、と日本の終身雇用制度を研究する米国の労働法学者もいました。
1.終身雇用制度の背景
(1)企業のニーズ
終身雇用制度は、日本古来の制度ではなく、戦前は財閥系企業にはみられましたが一般的ではありませんでした。1950年代に日本の経済復興が進み、多くの企業が最新の技術情報を取り入れて成長するために従業員の教育に投資する必要が高まりました。せっかく教育した従業員が退職しては投下資本が無駄になります。そこで、従業員が退職しにくい仕組みとして、年功賃金制度や退職金制度や充実した福利厚生制度が定着していきました。年功賃金制度では、賃金カーブは年齢とともに上昇し、さらに退職直前には急カーブで上昇します。退職金制度でも、退職金額は退職直前になって急激に増額します。そうすることで、定年まで勤め上げることに大きなメリットがあることになります。
(2)労働人口構成
シニア従業員の高額の賃金や退職金を支えるためには、ピラミッド型の労働人口構成(年齢が高くなるにつれて従業員数が減っていくという人口構成)により、多くの若い従業員が安い賃金で働くという構造が重要です。これと関係するのが、伝統的な夫婦観(夫は仕事をして、妻は家庭を守るという役割分担)であり、多くの女性従業員が結婚や出産を機に退職し、その後復職するとしても正社員ではなく非正規社員として復職するのが一般的でした。女性従業員が正社員として復職しにくいのは、伝統的な夫婦観だけでなく、中途採用者や復職者に不利な昇進制度、子育てをしながら働くための保育環境の不備、企業が支払う配偶者手当の存在、配偶者控除制度(*)等も関係していたと考えられます。
(*)納税者本人の所得による制限はあるものの、配偶者の合計所得が38万円未満(令和元年以前)…給与所得のみの場合は収入が103万円未満…であれば納税者本人の給与所得から一定額を控除できる制度。毎年改正されているので、現在は次を参照してください。https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1191.htm
(3)労働市場の流動性
定年まで勤続する人が多かったことの事情としては、労働市場の流動性が乏しかったことも影響しています。強制労働や中間搾取等の弊害を防止するために一般的に労働者供給事業は禁止され、1996年の労働者派遣法施行によりようやく一定業種での労働者派遣事業が合法化されました。また、有料職業紹介事業も1997年までは厳しく制限されていました。転職先を見つける手段が限られていたことも、従業員が定年まで勤続することが一般的であったことの一因といえるでしょう。
(4)法制度
1950年代に解雇権濫用法理(使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になる)が判例法として確立され(*)、有期雇用契約の更新拒絶についても解雇権濫用法理の考え方が適用されるようになり(**)、法制度上従業員の雇用が保護されることとなりました(現在では、解雇権濫用法理は労働契約法16条、有期雇用契約の更新拒絶については同法19条で明文化されています。)。
(*)日本食塩製造事件(最二小判昭和50年4月25日)、高知放送事件(最二小判昭和52年1月31日)等
(**)東芝柳町工場事件(最一小判昭和49年7月22日)、日立メディコ事件(最一小判昭和61年12月4日)等
(5)小括
以上のほかにも、終身雇用制度と関連する事情(例えば、転職に伴う企業年金の積立金の移管が難しかったこと)もあると思われます。いずれにせよ、終身雇用制度(実際には、もっぱら大企業の男性正社員にのみ当てはまる制度といえますが)は、日本固有の社会的背景を反映するものとして、日本の雇用制度の特色とされていたわけです。
2.終身雇用制度のメリットとデメリット
終身雇用制度のメリットとしては、長期的な視点から人材育成ができる、長期的に人材を確保できる、従業員の忠誠心を養える(従業員の立場からは生活と雇用が安定する)、といった点が挙げられます。幹部候補社員を様々な部署に配置して経験を積ませるという育成システムは、長期雇用を前提とするものです。
終身雇用制度のデメリットとしては、(年功賃金制ゆえ)人件費の調整が難しい、人材が固定化する、女性の労働機会を減少させる(若い従業員の立場からは働くインセンティブが弱くなる)、といった点が挙げられます。
3.終身雇用制度の変容
上記1で述べた終身雇用制度の背景事情は、変わりつつあります。
(1)年功賃金制度
年齢・勤続年齢に応じて増額する「年齢給」と職能資格制度に基づく「職能給」から構成される年功賃金制度は、1990年代初頭のバブル崩壊後の長期経済低迷とグローバル競争時代の到来の中で、年齢給の廃止と職能給への一本化、職能給制度における能力・成績主義の強化、上級管理職への年俸制の導入、業績賞与の設置、生活手当の縮小・廃止等、成果主義の観点から修正されるようになりました。退職金制度を廃止して賃金に上乗せするという企業も現れました。
(2)労働人口構成
子育て環境の整備が進んだことやコロナ禍でのテレワークの普及もあり、結婚・出産を機に退職した女性労働者の労働市場への復帰が加速しつつあり、かつて女性労働者数でみられたM字型カーブ(30代、40代の女性労働者の減少)は緩やかになりつつあります。正社員として復職する女性はまだ多くないように思われますが、非正規労働者の労働条件と正社員の労働条件との均衡・均等(*)や有期雇用労働者の無期雇用契約への転換権(労働契約法18条)が法制されたことにより、企業は、これまで正社員の労働人口ピラミッドの枠外から終身雇用制度を支えた女性労働者を無視できなくなりつつあります。夫婦が分業すべきという夫婦観も崩れつつあります。なお、定年後の継続雇用制度(**)が一般的となりつつあり、高齢者は、正社員の労働人口ピラミッドの枠外にとどまるのが通例とは思われるものの、労働力人口の一翼を担うようになっています。
(*)短時間労働者(パート・アルバイト等)・有期雇用労働者の待遇と通常の労働者の待遇との間で、①業務の内容及び責任の程度(「職務の内容」)、②職務の内容及び配置の変更の範囲並びに③その他の事情のうち、当該待遇の性質及び目的に照らして適切なものを考慮して不合理と認められる相違を設けることが禁止されます(「均衡待遇」)。また、職務の内容が通常の労働者と同一の短時間労働者・有期雇用労働者について、雇用の全期間を通じて職務の内容及び配置が通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれる場合は、短時間労働者・有期雇用労働者であることを理由とする待遇の差別的取扱が禁止されます(「均等待遇」)(短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律8条、9条)。
(**)65歳まで。令和3年4月1日以降は努力義務ではあるが選択肢の一つとして70歳まで(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律9条、10条の2)。
(3) 労働市場の流動性
有料職業紹介事業は、1997年に民間事業が取り扱える業種が大幅に拡大され、その後の職業安定法改正により規制緩和が進み、労働市場の流動性が格段に高まりました。また、確定拠出年金法が2001年から施行され、転職後も確定拠出年金の年金資産を移管できる(ポータブル)ようになりました。転職環境は大きく改善されたといえます。
4.終身雇用制度の今後
終身雇用制度が今後どうなるかについての定説はありません。
解雇を厳しく制限する現在の法制度が維持されるという前提で考えれば、企業としては、基本的には終身雇用制度を維持しつつ、変容する労働人口ピラミッドに対応する形で人事制度を再構築するほかないように思われます。非正規労働者の労働条件と正社員の労働条件との均衡・均等や有期雇用労働者の無期雇用契約への転換権が法制された(上記3(2))ことにより、終身雇用制度に取り込まれる有期雇用労働者数は今後増加していくと考えられますが、雇用の調整弁としての有期雇用労働者を一定数確保したいという企業のニーズを考えると、今後も一定割合の有期雇用労働者が終身雇用制度の枠外で残ると思われます。
他方で、従業員としては、長期雇用のメリットを感じている限り自ら転職するは考えにくいですから、こうした従業員が終身雇用制度の枠外に移る可能性は低いと考えられます。これに対し、長期雇用のメリットを感じない従業員は、終身雇用制度の枠外に出ることに抵抗はないと思われます。但し、転職によってよりよい待遇を追求できるのは市場競争力ある高い技能・スキルを有する従業員に限定されるとすると、近い将来に終身雇用制度が根底から揺らぐような事態には至らないように思われます。