不適切にも懐かしく、、、こうして立派なサラリーマンになりました(完)

2024年の流行語大賞が「ふてほど」でありましたが、このドラマ「不適切にもほどがある」、昭和世代の私には妙に親近感がありまして、そういえば若い頃(当然昭和ですが)今では考えられないようなハラスメントまがいの行動が許されていたよなあ、と。

下っ端心得、入社間もなく配属されたとある部署で先輩から嬉しそうに渡された紙片、その職場の下っ端の奥義が伝わる巻物のようなモノで、嬉しそうに「あはは、君が来たのでやっと僕も下っ端卒業だ」。10項目ほどでしたか。記憶にあるいくつかをご紹介します。

心得その一、心得その二、心得その三、心得その四(以上前号) 心得その五、心得その六、番外編

その五 ゴルフ場の予約。良いゴルフ場の予約を取ることが至難の時代でした。使える会員権、コネを確保、駆使し、毎月のチームメンバー用プライベート(参加者が決まる前にまず予約、会名‘へたくそ会’なのでスタート案内アナウンスで笑いを誘っておりましたが)、定期コンペを企画し、案内・賞品・車乗り合わせ手配することとされていました。先輩から上手くなれよ、とチームで引き継がれている寄せ集めゴルフ道具一式(殆ど買替え処分)を最初に頂くのも儀式でありました。

その六 チーム旅行の手配。部署単位の社員旅行が当たり前の時代で、何台もの大型バスを連ね大温泉ホテルへ。メイン行事は大宴会場での宴会。部署長はじめずらり並んだ偉いさんベテランは浴衣女子社員、若手の楽しい舞台芸を堪能の後、女子社員をはべらせての楽しい二次会のカラオケ三次会と温泉地の夜は更けていくのですが、準備手配は社友会の名のもとに選ばれた将来有望エリートリーダーのもと下っ端がこき使われるのでありました。上下関係人間関係を微妙に勘案した部屋割りから始まり、車内飲食の手配、舞台芸出し物の企画と予行練習、全体の進行分担と配置・準備物了解を部署の次席者と調整、ストレスが溜まりまくります。

で冒頭のチーム旅行、ストレス抜きの和気会い合いの仲間内旅行を別途企画、こちらは結構楽しい行事で寛容なので腕前の見せ所と張り切れる役割でした。何せ給料の安い女性社員も自腹でほぼ強制参加なので、低予算で楽しい、がコンセプトです。まずは毎度思い出に残りそうな観光地イベントを厳選。毎度年代物の廉価貸切バス、同じく年代物のガイドさんは逆に年輪を積み重ねたお話や歌に味があって対応も素晴らしく毎度感動でした。宿は見栄えが良いが安い利用、蕎麦や温泉卵なんかで品数だけ増得るようなお食事想定、チープ感が漂うので、辿り着く前にバスの中で出来上がる作戦を展開。目論見通りとなりますが、毎度発車後すぐに全員べろんべろん(私飲めませんが通用しない)、1時間もしないうちにトイレ休憩停車を連発し、延着した旅館の押し入れに荷物を入れながら吐いている人もある始末でした。

その他お定まりの花見場所取り、初詣後の焼鳥屋・鰻屋の手配、社内運動会や野球大会行事時のロジ、忘年会・納会・納涼会(ビアガーデン)の運営、土曜半ドンは先輩の馬券希望をまとめ場外馬券場へ、などなど。職場での生き残りをかけて4年~5年社畜の取組みを重ねるうちに、仕事も良くしましたが、お客様に臆することなく立派に立ち回れるサラリーマンに仕上がり、力強い中堅として活き活きと活躍できるように鍛えられたのでありました。

新人類を経て今は個人尊重、ハラスメント防止やコンプライアンス遵守、おまけに在宅勤務当たり前で、今の若手にはありえないようなお話なんでしょう。

しかし何故か懐かしくて良い時代で、少しばかりの反省とともに、「いや、ほんとに妻には迷惑を掛け支えて貰って感謝しかない」などと述懐しているのであります。